人を惹きつける魅力を持った蜀の初代皇帝
161年〜223年。涿郡涿県出身。字は玄徳。黄巾の乱で関羽、張飛とともに功績を挙げる。200年の官渡の戦いでは袁紹の味方につくが、曹操に攻撃されると、劉表のもとに逃げ込む。しかし、“三顧の礼”で諸葛亮(孔明)を軍師に迎えることに成功した劉備は、赤壁の戦いでは孫権と組んで曹操を退ける。その後、孔明が唱えた“天下三分の計”に基づいて、蜀の地を奪って221年に蜀(蜀漢)を建国。初代皇帝の座に就く。関羽を倒された怒りから、221年に呉に夷陵の戦いを仕掛けるが大敗を喫する。白帝城に逃げ延びた劉備だが、223年に死去。死ぬ間際に、息子の劉禅のことを諸葛亮に託したと言われている。「三国志演義」では、劉備は主人公として描かれている。関羽、張飛、趙雲、孔明ら部下に恵まれ、勢力に勝る魏を相手に熾烈な戦いを繰り広げていく。「三国志演義」では、戦場での活躍は関羽たち武将に譲っており、人徳のある人柄が強調されているが、史実には武勇にも優れていたと残っている。今回のドラマでは関羽、張飛とともに呂布と戦うなど、勇ましい姿も見ることができる。
1971年遼寧省生まれ。地元の劇団で俳優の道を歩み始め、上海戯劇学院に入学後、本格的にプロの俳優となる。99年に「曹操」でドラマデビュー。数多くのドラマに出演し、ガオ・シーシー監督とは8本のドラマで仕事を共にしている。
天才的な戦略で蜀を躍進させた希代の軍師
181年〜234年。琅邪郡陽都県出身。字は孔明。晴耕雨読の生活を送っていたが、劉備から“三顧の礼”を受け、207年に劉備の家臣となる。また、その時に「まずは曹操、孫権と中国を三分割して治める」という“天下三分の計”を説き、劉備を感服させる。勢力を拡大し続ける曹操による侵攻が始まると、劉備軍は敗走を余儀なくされるが、諸葛亮は孫権の説得に向かい、同盟を締結。連合軍は曹操軍を赤壁の戦いで撃破する。220年には蜀の丞相となり、223年に劉備が死去した後は息子の劉禅に仕える。227年には、劉禅に上奏文である「出師表」を記し、北伐を開始。魏に何度も攻め入るが、最後まで攻略することはできず、志半ばの234年に五丈原で病死する。史実に残るエピソードではないが、一夜で10万本の矢を手に入れたり、祈祷によって風向きを変えたりといった「三国志演義」で描かれた超人的な活躍によって、数多い登場人物の中でも一二を争う人気を誇る諸葛亮。今回のドラマでも、白い衣装に羽根の扇子という優雅な出で立ちで、後半の主役として大活躍を見せる。
1976年上海生まれ。5歳から子役として活躍。上海戯劇学院に進学後、98年のドラマ「永不瞑目」で脚光を浴びる。主な出演作は、ドラマ「雨のシンフォニー」、映画『ジャスミンの花開く』『セブンソード』『孔子』『唐山大地震』など。